決定されないイメージ
文:椛田ちひろ

ギャラリーアルファエム「成層圏 vol.1「私」のゆくえ」展覧会テキストより(2011年)

      

 

鏡に向かったときにまず真っ先に見るものは、自分自身の姿だ。しかし、自身と決定されているはずものが、その図像は作品なのだと宣言される過程で、その図像における自己同一性は不確かなものになる。変換された図像が自身の鏡像であるという事実は鏡という素材が証明しているというのに、図像が正しく自身を映したものであるか疑わしくなる。映る像は、それが自分以外の誰かであっても変わりないのではないか。そうした懐疑を起こさせる。


 私の絵画は、観客に未決の状態を保証する。そして、この「未決の状態」は私の制作プロセスそのものでもある。私は、「ただ描く」という行為によって「絵」を完成させている。この「ただ描く」という行為はたとえるなら、目的地を決めずにただ歩くということだけをしているようなものだ。ただ歩くということだけでは到達地点に、結末に辿り着くことはできないが、そうした非決定の積み重ねが創り上げる「未決そのもの」が作品となる。